東のほうを4日かけて回遊した話#4(完)
お久しぶりです。
さて、今回も前置き等々の前に宣伝させてください。
2525再生、広告ありがとうございます。
またもやこの旅行の素材での動画です。
昨今のラグトレインブームに乗っかって8月半ばに音声だけ作ったものの、動画は時間が無くて放置。時間が出来たので鉄道の日めがけて作っていれば結局間に合わなくなる始末。
動画を作る際は余裕をもって作りましょう。自戒です。
それはさておき、半年もかけて長々と書いてきたこの旅行の記事も今回でようやく終わりです。
残りは当初の予定通り、新潟からのんびり大阪まで帰るだけ。
途中、親戚に顔を見せに行くというおつかいも兼ねて東京経由で。
この記事は
の続きです。
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0時過ぎにホテルにチェックインしてからちょっと休んで時刻は4時過ぎ。
こんな短時間しか使わないのならネカフェでも使った方がコスパはいいんでしょうけど、生憎まだ18歳になっていない*1のでこういう場合はホテルを取らざるを得ません。
この時ばかりは高校生という肩書きを恨みます。
昨日青森で感じた肌を刺すような寒さはなく、南下していくにつれ暖かくなっていくのを感じつつ、まだ暗く、ひっそりとした新潟の街並みを見ながら終電でやってきた新潟駅へ始発に乗るため足を進めます。
道中写真を撮りつつ30分ほど歩けば、これまた駅舎改装真っ最中の新潟駅へ。
さよなら万代口駅舎と賑わっていたのもつい最近のように思っていましたが、工事が始まってから半年近く経ってたんですね。
今は既に完全に取り壊されてしまったようで...。
国鉄時代の駅舎もどんどんとその姿を消しつつあるので、折を見て撮りにいかねば。
新潟→長岡
5時前に出る快速やらキムワイプ色*2やらの各方面の始発を見送り、これまた始発の長岡行きに乗り込みます。
暖房が効いた車内でボックスシートに腰掛けて徐々に白んでいく空と新潟市街の車窓を眺めていましたが、新津を過ぎたあたりで睡魔に負けて目を閉じました。
ゆるやかな衝撃とドアから流れ込んできた冷気で目を覚ますと終点の長岡。
すぐの接続で上越国境を越える水上行きに乗り換えます。
長岡→越後湯沢→水上
長岡を出て40分ほど。小千谷市を過ぎて魚沼市に入るころには辺り一面が雪景色に。
奥羽山脈越えでも青森でもちゃんと見ることのできなかった雪景色がこんな所で見られるとは...。流石豪雪地帯と呼ばれるだけあるなあと思ったものでした。
途中の越後湯沢で20分程度停車時間があったので、散策ついでに外に出ることにしました。
まだ朝早いので土産物屋などはやっておらず、改札外のNewDaysで朝ごはんとちょっとしたお土産を見繕って列車に戻ります。
谷川岳の長いトンネルを抜けて、これが話によく聞く土合駅かと車窓から眺めていれば終点の水上に。
水上→高崎
上越国境を越えてグンマーへ。ここでもすぐの乗換で高崎を目指します。
乗換の高崎の文字を見て、ようやく関東まで帰ってきたという感覚が。
山から平野に移る車窓を眺めていると、途中の渋川だったか新前橋だったかで空席は無くなり、立ち客が出るほどに混雑してきました。
昨日の青森からここまで席が全部埋まるといったことはなく、どこも閑散としていて、大荷物の私からしたら楽でいいなといった感じだったのですが、こうやって混んでくるとようやく首都圏に帰って来たんだなと改めて思います。
高崎→大宮
ここでもあまり待つことなく、接続していた特別快速に乗り換えます。
特別快速という種別、東京から熱海に行くときには使いずらいし、朝方に北上するときにはそもそも走ってないしで今まで使ったことが無かったのですが、乗ってみた感想としては高崎線沿線から湘南新宿線方面への需要をうまく拾っているのかなといった感じ。
沿線民は疎か、関東の人間でもない奴の勝手な予想ですが。
この列車も途中から段々と混みだして、大宮に着くころには中々な混雑っぷりでした。
やっぱり都会、人が多い。
大宮駅
よく行くところほど写真を撮らない。私あるあるです。
ここで少し親戚に顔を見せに行くために道を外れ、10両編成の列車が単線を突き進むよくわからない路線にちょっとばかり寄り道。
帰りに津田ATOSが残っているかどうか聞きに行ってみたのですが、全然普通に残っていてちょっと拍子抜け。2年前に必死こいて録りに回ったのはなんだったんだ*3。
再び大宮に戻ってきた後はありがちな東京土産*4を買い込んで、熱海へ向かう列車を待ちます。
大宮→熱海
ここからは本格的に家路につくことになります。
まずは熱海まで移動するのですが、先ほど乗った高崎線でなかなかの混み具合を見せていたので、そんな中大量の荷物を持ってうろうろするのも迷惑だろうという建前で、熱海までグリーン券を購入。
実際、4日間ろくに寝ずに移動ばかりしてだったのでグリーン車の座席でゆっくりしたいというのが本音です。現にけっこう体は休まった。
アタミーアタミーと、西から来たのであればもう少しであると覚えさせる放送を聞きながら降りた熱海は、今から大阪に帰る私にとってはまだまだ通過点の一つ。
まだまだ列車に揺られます。
熱海→浜松
やって来た3両の211系に乗って浜松まで。
沼津、富士、静岡と都市を横目に列車は静岡県を横断します。
実は今まで18きっぷでいろんなところに行っておきながら、東京⇔大阪の乗り通しをしたことが無く*5、巷でロングシートの静岡区間は地獄だなんだと聞いていて、どんなもんかと思っていたのですが、この旅で東北本線やら羽越本線を乗り通してきた身からすると、あっという間に過ぎて行ってしまいました。
馴れ(?)は恐ろしい...。
浜松
大宮から列車に乗って大体5時間。そろそろ19時にもなろうかというところで夕ご飯。
静岡といえば、ですぐに出てきたのはさわやかのあのげんこつハンバーグですが、以前Twitterで見かけた浜松餃子のお店もいいなと、直前まで迷った結果、餃子に軍配が上がりました。
朝も昼もまともなものを食べていないのにあまりお腹が空いていなかったので餃子一人前のみ注文。ニラが効いていて美味しかったです。
駅に戻ってホームに上がろうとすると、たまたまコンコースの売店にうなぎパイの小袋が売られていたのを見てつい購入。
おいしいですよね、あれ。帰ってからリビングに置いていたらいの一番に無くなってました。
浜松→豊橋
ちょうどこの辺りから雨が降ってきて窓の外の景色も見えづらく、さらに腹も膨れてで、ウトウトしていたら豊橋でした。
30分、いまいち実感がない。
が、乗り換えてから所々で睡魔に負け、蒲郡やら名古屋やら大垣やらでぼんやり窓の外を眺めながら313系の快適な座席に包まれること約2時間。
ふと気付いて目を覚ましたのは米原に着いただいたい3分後。大阪方面への接続の列車が出た後でした。
ああ、最終日にしてとうとう乗り遅れやってしまったかーと。終電じゃないのでまだ大丈夫ですが。
え?初日の一番最初に乗り遅れてたって?あれはノーカンです。
米原→京都→帰宅
ここからはもう写真すらありません。
気力が全部眠気に変わってしまってます。
列車が入線してきて、まだ米原を発つ前に既に意識を手放してしまうと、次に覚醒したのは終点の京都。
ここで終電の大阪行きに乗れば最寄り駅まではこれ一本。
どうやって乗り換えたのかいまいち覚えてないのですが、当時の私は重い荷物を背負ってなんとか座席に腰を下ろしたようです。
結局乗り換えた後もまた寝てしまったようで、次に気が付いたのは最寄りから3つ進んだ駅に到着したところでした。
ところで、明らかに寝過ごしたと気付いた時の頭って面白いぐらいに冴えますよね。
皆さんも一度は経験があるかと思います。そう、その感覚です。
この時も気付いてからは早かったです。青ざめた顔のまま急いで荷物抱えて電車から飛び降りました。
まったく、心臓に悪い。
結局、家まで2km余分に歩きました。
あーあ。最後の最後にやらかしやがりましたね、自分。
おわり
おわりです。
最初にも書いていた通り、初めは東北を回る予定なんて一切なかったのですが、急遽旅程を変更した結果、こうなりました。
そうして増えた4日間の旅を6月から半年かけてこうして文字に起こしてきたのですが、如何せん時間をかけすぎた。
この旅行はもともと受験前最後の泊まり込みの一人旅のつもりで、行ったことのない場所に行く。行きたい場所に行く。乗りたい列車に乗る。
それを詰め込んだらキツキツな旅程にはなったものの、それは結果オーライ。
久しぶりの東京の高揚感や、青森の厳しい寒さ、それに各地で食べたものの味。
半年経った今でも、全部しっかりと頭に残っています。
これからも自分がやりたいことをして、楽しいと思える旅をしていこう。
そう改めて感じた旅でした。
最後に。
今年も一年ありがとうございました。
それではみなさん、よいお年を。