北の大地を廻る#3
前日のあらすじ
海線山線を乗り通した。
2/4 札幌
スマホのアラームに気づいて目を覚ましたのは6時前。
この日は昨日ほど早くに動き始めるわけでもないので、こまごまと荷物整理をしながらホテルの部屋で朝食が出る時間までゆっくりしていました。
ちなみに今回のこの旅行、泊まるところとして基本的に東横インを使っています。
駅に近い、大きめの町には大概ある、そして何よりU35割なる破格のセールをやっている*1等々、使わない手はありません。
それに付随してくる無料の朝食もなかなかにありがたいもの。使えるときには使い倒していきましょう。
解けて凍ってを繰り返したのか、妙にぼこぼこした駅前の歩道を歩いて札幌駅へ。
ほぼほぼアイスバーンに近い路面を自転車で走っている人もいたりして、鍛えられてるんだなあとそんなことを思ったり。
今日も朝から特急で移動。
長丁場になるので、あらかじめ駅弁やら飲み物やらを買い込んでホームに上がります。
普通やエアポートの比較的近郊の行先が並ぶ中、1つだけ異彩を放つ”稚内”の文字。
北の大地の、北の果て。行くぞ稚内!
流石に平日とはいえ、この長距離を走る特急がどれぐらい混むのかは未知数。
念の為と思って前日札幌に着いた時点で指定席を取っていましたが、蓋を開けてみれば窓側席は大方埋まるほどの乗車がありました。
自由席は確認こそしていませんが、札幌含む函館線内の各駅で自由席の乗車位置に人が集まっているのが見えたのでそういうことなんでしょう。
それよりも少し意外だったのが、同区間を走るライラックやカムイのように、札幌-旭川間のみを利用する人が少なからず居たこと*2。
この列車が札幌を出た20分後にライラックも出るので、そっちを使ってもいいのでは?とは思うのですが、旭川9時ちょうど着の宗谷の方が何かと都合が良かったりするんでしょうか。
前日夜の遅れの原因となっていた岩見沢近くでは、もはや小山みたくなっている吹き溜まりや、拉げるんじゃないかと心配になるレベルまで雪を積もらせた屋根が車窓を埋めていて、その雪が線路にも積もっていたことを考えるとそりゃあんな遅れにもなるわ......と思いつつ。
そんな瀬戸内の人間には全く縁のない真っ白な景色の中を突き進み、北海道第二の都市へ。
到着前に何と間違えたのか「まもなく終着の旭川です。」なんて車掌氏の放送が掛かったりしましたが、この列車はここからが本番。
最北への長い一本道。稚内へはまだまだかかります。
先述の通り、旭川までの利用客もある程度居たため、少し空いたかなという印象を受けたものの、それと入れ替わる形で旭川からの客を乗せ、結局先ほどまでとあまり変わらぬ乗車率で列車は北へ。
閉塞方式の切り替えのために永山に止まったあたりからちらちらと雪が舞い始めましたが、塩狩峠を越えるとほどなく止み、その後は降ったり止んだりを繰り返していました。
名寄までの間はところどころに点在する主要な駅にぽつぽつ止まるものの、ほとんどの時間はまっすぐな線路をぶっ飛ばしている特急に揺られているだけ。
何をするでもなく、あまり変わり映えすることのない車窓をずっと眺めていました。
この時点で岩見沢付近で大雪による遅れを引きずって15分ほどの遅延。
平常時であればそこそこの遅れですが、前日の上り宗谷が1時間近い遅れで札幌に戻って来たのを見ていたため、それに比べればなんてことないものに見えてしまうのが恐ろしいところ。
本当に雪国って大変だなあとしみじみ。
美深に停車中、止んでいた雪がちらほらと降り出したのでまたまた窓から外を眺めていたのですが、ふっと目に入ったのがこれ。
初めは綿雪かなーと思っていたのですが、よく見たら雪の結晶じゃん!すげえ!と密かにテンション大上がり。
スキー場で毛糸帽子にひっついた小さいものは数度見かけたことはありますが、まさかこんな暖房の効いた特急の車内から観察できるとは......。
1分ちょっとの停車の間溶けることなくずっと張り付いていましたが発車と同時に剥がれ落ちていってしまいました。嗚呼、諸行無常......。
札幌から座り続けて早3時間。
小腹が空いたので札幌の売店で安くなっていたたこめしのおにぎりを引っ張り出してきました。
ダシの効いたお米に大きいタコがいっぱい。
本来は200円程するのも納得の味でした*3。おいしかったです。
次の停車駅は音威子府。
音威子府と言えば黒いお蕎麦が有名ですが、生憎食べに行けるような時間はありません。が、いろいろな場所で美味しいと言われているそれを食べずに帰ってしまうのは何ともいただけない。
という訳で......
GWを使って東京で食べられるお店に行ってきました*4。
駅で売られていた当時の復刻版だそうで、非常に美味しかったです。
麺の製造が終わってしまう前にまた行きたいですね*5。
音威子府を出て川沿いをうねうね走っていると、急に鋭い警笛が鳴ったかと思えば強いブレーキがかかり急減速。
何事かと思いましたが、原因はエゾシカ。
「この先エゾシカなどの野生動物が多数出没する区間を走行致します。」という文言、北海道の特急列車の放送で枕詞のように扱われるのでいろいろな所で耳にするのですが、本当に文字通り「出没」するものなんですね。
幸いぶつかったりはしなかったようで、すぐに加速していきました。
その後も飽きることなく流れる車窓を眺めていれば、線路わきの道路の青看板に稚内の文字。
ようやく目前にまで迫っているのか~と思って、なんとなく時計を見てみればその地まで後30分。
あぁ......まだそんなに掛かるんですね......。
日本最北の無人駅である抜海を通過し、左手に一瞬だけ日本海が見えたかと思えば、それまでずっと真っ白な原野だけだった景色が一変、急に住宅が立ち並ぶ風景が広がり、そして......。
日本最北端の駅、終点、稚内駅到着です――。
とうとう来ちゃった。来ちゃったよ。
函館に着いた時にも同じようなことを思いましたが、この不思議な情感をどう言語化したらいいのか毎回分からないんですよね。
ようやく辿り着いたことに対する高揚感というかなんというか......。なんとか伝わらないものか。
もともと21分の折り返し時間に、岩見沢からの17分遅れのまま到着。
そのため乗客が捌けたらすぐに改札を始めるとのことで、一息つく間もなく指定席を確保して駅舎等々の写真を撮って戻れば既に改札が始まっていました。
宗谷岬をはじめ、北防波堤やらノシャップ岬やら行ってみたい場所はいっぱいあるので再訪は確定。
後ろ髪を引かれつつ折り返しのサロベツに乗り込みます。
私と同じく、稚内に来るだけ来て即折り返しの人も数名いたようで、行きでも見た格好の人がちらほら居た他はスーツを着たビジネスマンやらスーツケースを転がす観光客やらで指定席の4割ほどは埋まっていました。
席について一息つけばすぐにドアが閉まり発車。
結局稚内の滞在時間は8分。まぁ、旅ってこういうものでしょう。
次の南稚内発車時に現在2分遅れで運転との放送。
先にも書きましたが、本来であれば21分ある折り返し時間に17分遅れで到着したのを爆速で折り返し作業を行い改札して即発車。これで15分も巻けるてるの意味が分からない(誉め言葉)。
短い折り返し時間で効率的に準備をするためか、下りの南稚内発車時点で既に車内清掃を始めていたのがなるほどなーと。
稚内を発った時点で時刻は13時を回ったころ。
5時間以上座席に座っているだけですが、それでもお腹は空いてくるもの。
空腹を満たすため、カバンに潜ませていたお弁当を机の上に広げます。
札幌の駅で買った函館の駅弁を稚内からの帰路で食べる、傍から見たら謎な行為。
甘辛く煮付けられたニシンと薄味の数の子が絶妙にマッチしてめちゃくちゃおいしかったです。
昨日の遅れを見てある程度予想はしていましたが、稚内で何も手に入れられない可能性も考えていたので、札幌では多めに食料を確保していたのですが、それが功を奏し、長い乗車時間でも干からびることなく快適に過ごせました*7。
しばらくは遅れを回復するかのように順調に飛ばしていましたが、往路で急減速した音威子府近くでまたもやブレーキ。
よく見れば線路沿いに生えている木の低めの位置の皮は剝かれているし、なんならその元凶がしれっと何食わぬ顔でこちらを眺めているのがなんとも面白かったです。
行きと変わらぬ雪景色を眺め続け、塩狩峠を越えれば天塩*8を抜けて石狩に。
ここまで来れば長い宗谷本線もあと少し。
長い乗車時間の暇つぶしのために電子書籍を数冊ほど用意していたのですが、ずーっと飽きもせず車窓を見ていたため使うことなく旭川まで戻ってきてしまいました。
その車窓も大半が雪と防雪林でしたが。
近代的な建築の都会的な駅。
洗練されたデザインの建物もさることながら、柱のひとつとってもお洒落でよい。
常に駅構内に静かなジャズが響き渡っているのもその雰囲気に調和していて、ゆったりとした時間が流れているように感じます。
が、5分遅れて到着した特急から降りた私にはゆったりしている時間はなく、せかせかと乗り換えのホームまで急ぎ移動。
電化区間のほぼ最北であるこの駅で気動車特急から乗り換えるのはまたもや気動車特急。
気になっていた車両の一つであったラベンダー編成。乗りたいが為に運用を事前に確認して旅程を組んでいたので、車両差し替えが無くてよかったとホッとしながら乗車。
こちらもサロベツなどと同じく長距離を走る列車で、どれぐらい混むのかは不明。
という訳で短い乗り換え時間の間に指定券を発行したのですが、先ほどまでとは打って変わってガラガラなま旭川を発車。
ちょっぴり拍子抜けしましたが、後々見に行ったラウンジスペースは何故か大盛況だったので取って間違いはなかったと思います。
動き始めた頃には既に日は落ちており、加えて雪が降り始めたことで車窓には辛うじて街明かりが見えるばかり。
こうなってしまえば窓の外を見るのは諦め、周りに人がいないのをいいことに、車内設備のwifiとコンセントをフルに使ってパソコンを広げて作業していました。
なんとなく電波が悪いなーと地図を見れば北見峠に差し掛かるところ。
よくもまあこんなところに鉄道を通したなと思わんばかりですが、この辺りにも駅があったということはそれなりに使われていた過去があるんでしょうね。
峠を越えてしばらく走れば遠軽へ。
折り返し準備の間に外の空気を吸いに出てみたのですが、随分と前時代的な電照板が今も光っていました。
一番下の段は目張りされていたのですが、もしやしれっと名寄方面とか隠されていたりしないですかね......。
進行方向を変えて発車し、常紋峠を越えるとまた雪が舞い始め、それと同時になぜかLINEが使えなくなる謎のバグが発生して少々困っていたのは別の話。
北見に着くと放送がかかった途端、急にトンネルに。
なんでこんな平野部に?と一瞬謎に感じましたが、いわゆる都市トンネルってやつなんでしょうか。
ここで同じ車両に乗っていた乗客も降りて行ってしまい、いよいよ周りは自分一人に。
真っ暗な闇の中を突き進む車両の音と規則正しいジョイント音だけが響く空間。
いま、旅してるなーと最大限感じることが出来るとても好きな瞬間だったりします。
網走
旭川から3時間強揺られた先で少し低い声の俊夫おじさんの放送を聞いて降りてみれば、なんともレトロな雰囲気が色濃く残る駅に。
駅前の歩道なのか、はたまた車道にはみ出ているのか怪しい道を通って、とりあえず重い荷物を置きにホテルにチェックイン。
で、一息ついて再び出てきてみれば雪が強まっていました。寒い。
あまりにも寒すぎるので駅舎の中に引っ込んで待合室で暖を取っていたのですが、ヘッドマークの展示やら網走監獄の展示やら、いろいろと見ていて飽きなかったです。
この駅に到着する列車は札幌からの最終オホーツクを残すのみ。
が、それまでやや時間があったので駅舎周りを散策。
網走だったらこれやらなくちゃなと思ったけど、1人だから撮ってくれる人いねえわ pic.twitter.com/nCUOibdj1X
— 枚槻 (@Hira2ki) 2022年2月4日
各所でよく見るお約束のパネルですが、生憎おひとり様なので撮ってくれる人はいません。
なので丁度目の前に立っていた白ポスト*9の上にカメラを置いてセルフポトレ。
まぁ......折角だし、やりたくなるよね......。
そんなことをしていたらもう少しでオホーツクが入ってくる時間。
ホームから撮るのだとなんだか味気ないので、別の場所から撮ると決め、暖かい待合室に別れを告げて移動します。
雪の吹き荒ぶ中、駅からちょっと歩いたところにある第4種踏切へ。
雪と共に強くなってきた風を避けるような場所もないので、ただひたすらに凍えながら待つこと十数分。
軽やかなエンジン音を響かせながら遠くからやってくる雪に塗れた最終特急。
10分ほど遅れての到着でしたが、これは待った甲斐があったというもの。かっこよ......。
どうせなので車庫に引き上げるところまで追っかけていたのですが、雪も相まってめちゃくちゃに格好いい。最高か。
あまりに興奮しながら撮っていたもので、ふと気づいた時に寒さで指先の感覚がほぼ無くなっていたのには流石に焦りました。
結局あと30分で日付が変わるというところまで撮って回っていたので食事に関しては何も考えておらず、夕食を見繕いにセイコーマートへ。
レジの店員さんと他愛もない話をしながら会計を済ませ、しんしんと雪が降り積もる道をゆっくり走る除雪車を見ながら宿まで戻ります。
事前に公式HPで予告はされていましたが、どうやら明日は楽しいことになりそうで。
始発のオホーツクも撮りに行こうかなーとかぼんやり考えながらセコマの100円パスタを食べてこの日は終わり。
続きます。
北の大地を廻る#2
前日のあらすじ
北海道に上陸した。
2/3 函館
目を覚ませばまだ夜も更けきらぬ早朝4時過ぎ。
朝早くから開いているであろう朝市もまだまだ準備中。
ここまで早く目覚めなくともまだ時間に余裕はあるのですが、旅の高揚感からぱっちりと眼が冴えてしまいました。
のんびりと時間を潰し、市電のササラ電車でも走ってないかなあと思い立って早めにチェックアウトして市電通り沿いに函館駅まで向かいましたが、前日の雪はそこまで積もっているわけでもなく、ただただ市電も車も走らぬ静かな通りを進むだけでした。
列車ごとに改札という概念。他ではなかなか見ないものなので、駅員さんや自動放送の「~分発普通列車の改札を始めますー。」みたいな文言に一々物珍しさを感じてしまいます。
そんな改札の放送を聞いて、ホームに上がって北斗の車内へ。
対戦よろしくお願いします pic.twitter.com/5wfAYC5O91
— 枚槻 (@Hira2ki) 2022年2月2日
HOKKAIDO LOVE!パスを使っての北海道周遊、スタートです。
キハ40でノロノロと走っていた線路をとんでもない加速で飛ばしていき、森を過ぎたころには駒ヶ岳の奥から朝日も昇って来ました。
地図上では位置関係を理解したつもりではいたのですが、進行方向右側にずっと内浦湾と駒ヶ岳が見えていて、やはり実際に目で見てみないと分からないもんだなあと。
札幌
苫小牧でドアに雪塊が挟まったとかなんとかで5分ほど遅れていましたが、千歳線内の回復運転で定刻で札幌着。
到着前の車窓から見る建物の密集具合とその高さに圧倒。ついさっきまで車窓には雪が広がっているだけだったのに......。
道内各地へ向かう特急の看板が吊り下げられているのを見るとターミナルに来たなあと感じます。
朝から何も食べてなかったので駅そばで腹ごしらえ。
ちょっと濃いめの黒いつゆで美味しかったです。
札幌からはエアポートで小樽へ。
車両が733だし、まあまあ人も乗ってるしで、車内放送は録らずにボーっと車窓を眺めながら小樽へと向かいます。
小樽
乗り換えた倶知安行きは大きな荷物を持った人でボックスがすべて埋まるぐらいの乗車がありました。
席を取っておかないとまずいかなと思い、ロングシートの端に腰を落ち着けて発車を待っていましたが、追加の乗車はほとんどなく、ホームの散策ぐらいはしてもよかったかなと今更ながら。
車両はH100形。東北に行ったときに乗ったGV-E400と設計が同じだそうで、デザインが違うだけでよく見れば確かに同じだなという風な内装でした。
訓練だか研修だかをやっていたのか、乗務員4人を運転室に詰め込んだワンマン列車は定刻通り倶知安に向けて発車。
観光もしたいですが、小樽には3日後また訪れる予定になっているのでお楽しみはその時に。
そこそこ混んでいた車内は余市ですっかりガラガラになって、そこからはずっとローカル線の体を成していました。
この区間はバス転換されることで決まってしまったようですが、実際乗ってみた感じだと小樽-余市間の需要は地元客観光客共に相当数はあるように感じましたし、少なくともこの区間は鉄道で残してもいいのではないかという気がします*1。が、実際のところどうなんでしょうか。
到着した倶知安のホームは新幹線の駅舎がなんとかで新しいものに変わっていました。
これもいつまで使われることになるのやら。
この駅で長万部行きに乗り換え。
H100の単行で引き続き山線を南下していきます。
こちらもその遅れをもらって長万部にそのままの遅れで到着。
道中はずっと暗い雲に覆われて綿雪が降っていたのですが、海沿いに出てきた途端雪の粒が小さくなり、日も射してきて峠を越えてきたんだなと。
この駅で1時間の乗換待ち。
ちょっと遅い昼ごはんに有名なかにめしでも食べようかと思っていたのですが、サイトを見るとすでに閉まっているようで。
それならばと代わりにもりそばにしようかと思ってお店まで行ったのですが、こちらも終了したとのこと。
昼飯、消滅——。
当てにしてた駅弁が全部なかったので売店でお昼代わりのジェラートを買った pic.twitter.com/NIpfop52Oh
— 枚槻 (@Hira2ki) 2022年2月3日
駅の売店で目についたチーズ風味のジェラートを待合室でパクついてましたが、濃い味でおいしかったです。
定刻でホームに滑り込んできた北斗に乗って、再び札幌方面を目指します。
駅弁、次は必ず。
朝も通った道を東進して東室蘭へ。
ちょうどこの時向かい側にも北斗が入るとのことだったので見ていたら、来たのはキハ281。
個人的に北斗といえばこの青い車両のイメージがあったので、ようやく見れたという思いが強かったです。
ここでは長万部から辿って来た室蘭本線からその支線へ乗り換え。車両は再び奥に写っているH100。
向かいに止まっていた長万部行きが結構な混雑だったのに対して、ガラガラなまま列車は室蘭へ向かって進んでいきます。
発車してからは進行右手にずっと工場のノコギリ屋根やら煙突からの煙やらが見えていて、どことなく堺や川崎あたりの湾岸線*2を走っているような感じでした。
北斗で「まもなく東室蘭~」の放送がかかっているときも、車窓に立派な工場群が見えていたので、やっぱり製鉄のまちなんだなあと。
室蘭
乗り潰しも兼ねて来たのはいいのですが、着いた頃には辺りは暗くなり始めていて、かつ雪も強まって来ており、もはや観光どころではありませんでした。
かろうじて600mほど離れた観光協会となっている旧室蘭駅舎まで逃げ込んだのはよかったのですが、そこまで歩く道中にも大粒の雪に打たれ、折り畳みのものとはいえ傘も差していたのに全身雪まみれでした。
今思い返してみると、窓からとんでもない降雪を見ていたことこそあれど、実際にこの身で受けた雪としてはこの時が一番強かったです。
コートのポケットにまで雪が入り込んでるのは異常。
なんちゃって見物をしていたら雪も弱まったようで、同じく旧駅舎の前に保存されていたSLも見て回ります。
展示されているSLは数多くありますが、車体の下に入って構造を見られるようなところはなかなか無いのではないでしょうか。
その後は偶然Googleマップを見ていたら発見した日本一の坂とやらに行ってみましたが、そのネーミングとは裏腹に民家の間を通り抜けるだけの小さな曲がりくねった坂でした*3。
再び雪も強まって来て、観光を切り上げて足早に駅に戻り、窓口の閉まった駅員のいない改札を通り抜けると785系運用のすずらんが止まっていました。
そこまで北海道の車両事情に明るくない私でも、これがそこそこに珍しい車両だということは知っていたので、どうせならとラブパスの権利を行使してUシートの指定を取ろうと思いつきます。が、先述の通り既に窓口は閉まっており、指定席券の発券は出来ず。
駄目で元元、と車掌氏に聞いてみたところ、どうやら可能だったようで指定していただきました。ありがとうございました。
ちょっとだけ普通車の座席と座り比べもしてみましたが、ここはやはりUシート。
ちょうど良い座席の硬さと沈み込みで随分と快適でした。
札幌
山線と海線をぐるっと一周して寄り道含め10時間。札幌に戻ってきました。
朝に見た時もそうでしたが、夜になって改めて到着前の車窓のビル群を眺めると、ビルの光も相まって、その建物の多さに圧倒されてしまいます。
時刻は20時を回ったころ。
結局まともな昼食を摂れていないので、まずは飯だ!と地下道を突き進んで目星をつけていたお店に入ります。
北海道の郷土料理として名高いジンギスカン。
滞在中にどこかのタイミングで食べようと思っていましたが、お腹の空き具合と時間の余裕を加味してこの時に食べることにしました。
ラム肉といえば臭みがあって敬遠されがちですが、ジンギスカンだとタレにしっかりと漬けられていて全く臭みがなく食べやすかったです。おいしい。
宿に荷物を置いて、終電関連の放送でも録ろうかと思って再び札幌駅に戻ってきたら何やら不穏な案内が。
どうやら岩見沢付近の大雪で旭川方面から来る列車に大きく影響していたようで、駅員さんがひっきりなしに遅れの案内をしていました*4。
とりあえず放送を録ろうと思ってホームに上がると、謎の183の回送が止まっていました。
オホーツクはまだ到着していない時間だし、そもそも3両だしで真相は今も謎のまま*5。
そのあとコンコースで延々と札幌に集まる特急愛称を録り集めていましたが、ひと段落してまたホームに上がればイメージの中の青い特急が揃っていました。
やっぱり途中下車で見ていた北海道の特急といえばこれなんですよ。感無量です。
今回は281に乗るチャンスはもうありませんが、283は釧路から札幌まで乗り通すつもりなので、それを楽しみに今はここでパシャパシャと。
3月のダイヤ改正で無くなってしまった「石狩」の表記もきちんと回収。
この後は岩見沢方面の終電が雪で繰り上げられていたのもあって、特にめぼしいものも無かったので少し早めに切り上げて撤収。
札幌に乗り入れる特急列車の愛称は全部録り集めることができたので満足です。
宿へ戻る途中に北海道が誇る最強のコンビニのセイコーマートに寄り道。
続きます
北の大地を廻る#1
2022年2月11日。
日も沈みかけて、そろそろ夜の帳も降りてくるであろうかといった時間。
氷点下を余裕で下回っていた向こうに比べたらマシだなと思いましたが、しかしまだまだ体に堪える寒さであることは確か。
久しぶりに関西特有の騒々しい声や空気を感じ、帰ってきたことに対する安心と同時に名残惜しさも覚えます。
そんな楽しかったと、長旅で疲れたの思いを半々に、新快速に乗り込みました。
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あけましておめでとうございます(激遅)
大晦日の年明けギリギリに更新して以来、ようやくの更新です。
いままでここにつらつらと旅記を書き連ねてきましたが、そのどれもこれもが旅をしてから3ヶ月以上経ってから。
旅行中に撮った写真を見れば大概その時の情景を思い出すことはできますが、それでも時間が経つにつれてその詳細は失われていくもの。
ですので、行ったばかりの旅を記憶が鮮明なうちに、新鮮な状態で文字に起こしていこうと思います。
HOKKAIDO LOVE!パスを使って、行きたいところをすべて詰め込んだ10日間の旅程を携えた初めてのおひとり様北海道旅行。
試される大地とも呼ばれるその地で、どこまでその大自然に翻弄されるかも密かな楽しみにしつつ、重い荷物を背負って家を出たところから旅の記録はスタートです。
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2/1 大阪
大阪駅。鉄路でどこかへ行くときは7割ぐらいここを通っている気がします。が、今回は夜行バス。
20時を過ぎても全く減らない人波に紛れ、電光掲示板に表示されている遠い地の表示に胸を躍らせながら、乗り場へ向かいます。
前回の名古屋-東京で夜行バスを使った以来久しぶりの乗車です。
高速バスというと、少なからず忌避感を覚える人もいるようですが、少し前までは帰省の度に軽自動車の助手席に詰め込まれて関西と関東を往復していた経験もあり、私としては安いし楽な移動手段として割と上位の候補に挙がってきます。
私以外にも大きな荷物を持つ人がちらほらと見受けられる吹きさらしの待合室で時間を潰し、ほどなくしてやって来たバスへ。
動き始めてからは北へ向かい、善意で舗装されていて、中央分離帯に線路が敷かれており、5分に一本千里中央行きの電車が隣を通る道を走っていたのを最後に、それ以降は記憶がプッツリ。
時々停車するSAで律儀にSwarmの記録を取っていたようですが、正直あんまり覚えていません。
2/2 東京駅
やって来ました東京駅。
例によって、今回も丸の内駅舎を撮る時間はありませんでした。
前とは別の改札を通り、いつもより一段高いホーム*1へ。
いつかいつかは乗りたいと思っていた北へ向かう新幹線。
どうも小さいころに乗ったことはあるようで写真が残っていましたが、そのころの線路はまだ八戸まで。
今回は一人で行った北限である青森よりさらに先。
青函トンネルを越え、いざ北海道。
荒川を渡る頃にはだいぶ日も上がって来て、綺麗な朝焼けと共に遠くに富士山も見えました。
車窓には7時前だというのに東京方面へ向かう車で渋滞していました。流石首都。
大宮を発車してグングンとスピードを上げていくのを感じていたら、いつの間にか宇都宮を通過していて、頭の処理が追い付かねえ~速すぎ~~~と、その速度に打ちのめされていたら、車窓には雪がちらつき始め、気付けば盛岡でした。
盛岡お馴染みのはやぶさとこまちの解結。
近くで撮っている動画をよく見るので、あまり見ない遠くからの動画を望遠で撮ってみましたが、暗くてよくわからないものになりました。
というか、17両って長いですね......。端から端まで全く見通せない。
先に出て行ったこまちに遅れること2分。はやぶさは快調に北に向けて走り......
青函トンネルにはいr......あれ?
「青函トンネルに入りました。」の表示を見たくて、入る前からずっと動画を回していたのですが、どういうわけか流れてくれませんでした。泣いた。
長いトンネルを抜ければそこはもう北の大地。
あと30分足らずで終点の新函館北斗。
いやー、来ちゃった。来ちゃったよ北海道。
北海道には今まで何度か来たことはありましたが、そのどれもが新千歳から。
ありきたりな飛行機で渡道はつまらないと思い、旅行の一月前からえきねっとのトクだ値で50%OFFの切符を押さえ、こうして念願叶って北海道の南の玄関口である函館へやって来たのでした。
時刻は11時で、そろそろお昼時。
朝からパンを1つ食べただけで腹は減っているものの、まずは移動。
新幹線との接続を考えてダイヤを組まれているはこだてライナーは見送って......
函館とは逆方向に向かいます。
駅を出て少し歩けば一面の雪原と目の前に聳える駒ヶ岳。
ガロガロと小気味良い音を立てながら走る40の車窓からも眺めていましたが、存在感がすごい。
柵で区切られた向こう側はすべて沼のようですが、結氷した上に雪が積もってしまっていて陸との境目が全く分かりませんでした。雪が融けたら再訪することにしましょう。
で、わざわざ大沼公園まで来た理由として、駒ヶ岳を近くで見たかったというのもありますが、本命はこっち。
大沼だんごです。
存在を知ってからずっと行きたかったのですが、如何せん、そう簡単に来れるような場所ではなく。
戻りの列車で誘惑に負けてちょっと開けて摘まみましたが、柔らかい。おいしい。
個人的にはみたらしよりさっぱりとしたあんこが好きでした。
駅まで戻る道で、新函館北斗の駅はだいぶ寒かったのに、こっちはそうでもないなと思って、雪にまみれた駅前の温度計を見ると1℃。
日が差しているおかげかずっとぽかぽかしてました*2。
函館
頭端式ホームに到着した電車を降りると何枚も連なるご当地ホーロー看板。
これを見るだけで北海道に来たって気がします。
ところで、新幹線を降りた時にも思いましたがドアだらけですね。
それだけ寒さ対策をしないと冷気がすり抜けてくるってことなんでしょうが。
時刻は正午をまわって13時。
列車内でだんごはつまんだものの、味見程度では腹も膨れず。
ここは北海道。せっかくならばおいしいものを食べましょう。
函館朝市でお昼ご飯を食べようと当たりを付けて、市場の中をうろうろしつつ、お店を探していたら500円海鮮丼の文字が。
最初は500円?マジで?と半信半疑でしたが、注文したらすぐにこれが出てきて閉口。
大阪とかで頼んだら1000円近い値段になるんじゃねえのこんなのとか思いながら食べてました。おいしかったです。
食べ終わった後、閉店時間も近いし空いてるだろうと思って朝市内をぶらついていたらセールストークにやられていろいろ買ってしまいました。
がごめ昆布、とろろがオススメです。
宿のチェックインまで時間があったので青函連絡船の摩周丸を見学。
船内の計器室とか通信室だとかは大体そのまま残っているそうで。初めてモールス信号打ちました。
パネルで展示されている内容も当時を知らない私にとっては目新しい事ばかり。
次の北海道上陸は津軽海峡を船で渡ってこようと心に決めました。
1時間ほど時間を潰し、宿に重い荷物を放り込んだらそのまま街歩きへ。
市電の一日乗車券を買い、適当に乗り潰ししつつ、目をつけていた資料館まで散歩。
初めはウポポイに行こうと思っていたのですが、どうにも予定と噛み合わず断念。
その代わりとしてアイヌ民族関係の資料館を探していたらたまたま函館にあったので見学。
入館料も200円と安く、展示もさることながら、建物自体も中々に面白く大満足でした。
資料館を出た後は市電通りから外れて、坂を上って洋館の立ち並ぶ通りを雪を踏みしめながら歩いていきます。
海沿いの町で坂が多く、その上には西洋風の建築が並んでいる、というのでどことなく既視感を覚えていましたが、どこか神戸の街と雰囲気が似通ってますね。
異国情緒漂うといった点では横浜とも似ていますが、やっぱり坂があるせいか、三ノ宮から北に向かって歩いているような気がしてならなかったです。
せっかくなら夜景も見に行きましょうと思って函館山のふもとへ。
ロープウェイに乗れば10分とかからず頂上まで向かえますが、往復するといいお値段。
ここで当時の私は貧乏性が働いて、雪がそこまで強くないのをいいことに頂上まで雪中登山することにしました。
が、登り始める前に日没の時間は過ぎていて、5合目を過ぎたぐらいで辺りは真っ暗。
懐中電灯で道を照らしながら進みましたが、それでも暗い。いつぞやの暗峠を彷彿とさせるシチュエーションでした。
ロープウェイ乗り場からグネグネ登ってくること30分。何事もなく無事登頂。
家に眠っていたスノーブーツを持ってきていたのですが、この雪山登山でも全く滑ること無く、雪道に対しての全幅の信頼を置くようになりました。すごい。
肝心の夜景は噂に聞く言葉通りの綺麗さ。
登頂直後から雪が強くなってきたようで、視界が悪くなり始めてきていたのが少し残念でしたが、これは自分の足で上がってきてよかった。
下りはケチらずにロープウェイに乗って降りてきたら吹雪まくってました。
十字街まで下ってきて、夜の函館の散策を再開。
面白そうだなと思って目星をつけていた東北以北最古のエレベーターやら日本最古のコンクリート電柱やら、やたらと最古のものが固まっていたのでまとめて見物。
エレベーターを見に来たと施設の人に伝えたら説明付きで乗せてもらえたり。手動式のエレベーター、初めて乗りました。
再び十字街から市電に乗って、湯の川へ行く途中の五稜郭公園前で途中下車。
五稜郭へ行ってもよかったのですが、今回の目的はそれとは別。
市電を降りて10m。目と鼻の先にあるミスタードーナツが目的地です。
地元のパン屋がフランチャイズ契約どうこうで安いというカラクリだそうですが、実際行ってみると他より3~4割ほど安かった。
個人的にはこういう他店舗と違う特徴があるお店もそれだけで観光対象になると思っているので、積極的に行ってみたいところではあります。
そのあとは温泉で有名な湯の川へ行きましたが別段何をするでもなく、一本見送ってそのまま折り返し。
その足で別の温泉へ行きます。
谷地頭
湯の川温泉みたいな名の知れた温泉に入ってもよかったのですが、そういったところは夜が早いのもあり、再び函館山の麓まで戻って来て谷地頭温泉へ。
ただの公衆浴場と侮るなかれ。有馬に似た茶褐色のお湯が張った広い湯舟に430円で入れます。雪見露天風呂もあります。最高。
上がった後、次の市電まで時間があったので赤レンガ倉庫のあるベイエリアまで歩いたのですが、全然湯冷めせず、ずっとポカポカしたままでした。
ベイエリアでは閉店間際のハセガワストアに駆け込んで割引シールの貼られたやきとり*3を手に入れ、市電通りを歩きながら再び函館駅へ。
25分遅れてきた最終の北斗の到着を見て、雪の降る道を宿まで戻ります。
昼に食べ残した大沼だんごとやきとりを食べ、この日は終わり。
明日からの道内大移動を楽しみに、早々に瞼を閉じます。
続きます
東のほうを4日かけて回遊した話#4(完)
お久しぶりです。
さて、今回も前置き等々の前に宣伝させてください。
2525再生、広告ありがとうございます。
またもやこの旅行の素材での動画です。
昨今のラグトレインブームに乗っかって8月半ばに音声だけ作ったものの、動画は時間が無くて放置。時間が出来たので鉄道の日めがけて作っていれば結局間に合わなくなる始末。
動画を作る際は余裕をもって作りましょう。自戒です。
それはさておき、半年もかけて長々と書いてきたこの旅行の記事も今回でようやく終わりです。
残りは当初の予定通り、新潟からのんびり大阪まで帰るだけ。
途中、親戚に顔を見せに行くというおつかいも兼ねて東京経由で。
この記事は
の続きです。
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0時過ぎにホテルにチェックインしてからちょっと休んで時刻は4時過ぎ。
こんな短時間しか使わないのならネカフェでも使った方がコスパはいいんでしょうけど、生憎まだ18歳になっていない*1のでこういう場合はホテルを取らざるを得ません。
この時ばかりは高校生という肩書きを恨みます。
昨日青森で感じた肌を刺すような寒さはなく、南下していくにつれ暖かくなっていくのを感じつつ、まだ暗く、ひっそりとした新潟の街並みを見ながら終電でやってきた新潟駅へ始発に乗るため足を進めます。
道中写真を撮りつつ30分ほど歩けば、これまた駅舎改装真っ最中の新潟駅へ。
さよなら万代口駅舎と賑わっていたのもつい最近のように思っていましたが、工事が始まってから半年近く経ってたんですね。
今は既に完全に取り壊されてしまったようで...。
国鉄時代の駅舎もどんどんとその姿を消しつつあるので、折を見て撮りにいかねば。
新潟→長岡
5時前に出る快速やらキムワイプ色*2やらの各方面の始発を見送り、これまた始発の長岡行きに乗り込みます。
暖房が効いた車内でボックスシートに腰掛けて徐々に白んでいく空と新潟市街の車窓を眺めていましたが、新津を過ぎたあたりで睡魔に負けて目を閉じました。
ゆるやかな衝撃とドアから流れ込んできた冷気で目を覚ますと終点の長岡。
すぐの接続で上越国境を越える水上行きに乗り換えます。
長岡→越後湯沢→水上
長岡を出て40分ほど。小千谷市を過ぎて魚沼市に入るころには辺り一面が雪景色に。
奥羽山脈越えでも青森でもちゃんと見ることのできなかった雪景色がこんな所で見られるとは...。流石豪雪地帯と呼ばれるだけあるなあと思ったものでした。
途中の越後湯沢で20分程度停車時間があったので、散策ついでに外に出ることにしました。
まだ朝早いので土産物屋などはやっておらず、改札外のNewDaysで朝ごはんとちょっとしたお土産を見繕って列車に戻ります。
谷川岳の長いトンネルを抜けて、これが話によく聞く土合駅かと車窓から眺めていれば終点の水上に。
水上→高崎
上越国境を越えてグンマーへ。ここでもすぐの乗換で高崎を目指します。
乗換の高崎の文字を見て、ようやく関東まで帰ってきたという感覚が。
山から平野に移る車窓を眺めていると、途中の渋川だったか新前橋だったかで空席は無くなり、立ち客が出るほどに混雑してきました。
昨日の青森からここまで席が全部埋まるといったことはなく、どこも閑散としていて、大荷物の私からしたら楽でいいなといった感じだったのですが、こうやって混んでくるとようやく首都圏に帰って来たんだなと改めて思います。
高崎→大宮
ここでもあまり待つことなく、接続していた特別快速に乗り換えます。
特別快速という種別、東京から熱海に行くときには使いずらいし、朝方に北上するときにはそもそも走ってないしで今まで使ったことが無かったのですが、乗ってみた感想としては高崎線沿線から湘南新宿線方面への需要をうまく拾っているのかなといった感じ。
沿線民は疎か、関東の人間でもない奴の勝手な予想ですが。
この列車も途中から段々と混みだして、大宮に着くころには中々な混雑っぷりでした。
やっぱり都会、人が多い。
大宮駅
よく行くところほど写真を撮らない。私あるあるです。
ここで少し親戚に顔を見せに行くために道を外れ、10両編成の列車が単線を突き進むよくわからない路線にちょっとばかり寄り道。
帰りに津田ATOSが残っているかどうか聞きに行ってみたのですが、全然普通に残っていてちょっと拍子抜け。2年前に必死こいて録りに回ったのはなんだったんだ*3。
再び大宮に戻ってきた後はありがちな東京土産*4を買い込んで、熱海へ向かう列車を待ちます。
大宮→熱海
ここからは本格的に家路につくことになります。
まずは熱海まで移動するのですが、先ほど乗った高崎線でなかなかの混み具合を見せていたので、そんな中大量の荷物を持ってうろうろするのも迷惑だろうという建前で、熱海までグリーン券を購入。
実際、4日間ろくに寝ずに移動ばかりしてだったのでグリーン車の座席でゆっくりしたいというのが本音です。現にけっこう体は休まった。
アタミーアタミーと、西から来たのであればもう少しであると覚えさせる放送を聞きながら降りた熱海は、今から大阪に帰る私にとってはまだまだ通過点の一つ。
まだまだ列車に揺られます。
熱海→浜松
やって来た3両の211系に乗って浜松まで。
沼津、富士、静岡と都市を横目に列車は静岡県を横断します。
実は今まで18きっぷでいろんなところに行っておきながら、東京⇔大阪の乗り通しをしたことが無く*5、巷でロングシートの静岡区間は地獄だなんだと聞いていて、どんなもんかと思っていたのですが、この旅で東北本線やら羽越本線を乗り通してきた身からすると、あっという間に過ぎて行ってしまいました。
馴れ(?)は恐ろしい...。
浜松
大宮から列車に乗って大体5時間。そろそろ19時にもなろうかというところで夕ご飯。
静岡といえば、ですぐに出てきたのはさわやかのあのげんこつハンバーグですが、以前Twitterで見かけた浜松餃子のお店もいいなと、直前まで迷った結果、餃子に軍配が上がりました。
朝も昼もまともなものを食べていないのにあまりお腹が空いていなかったので餃子一人前のみ注文。ニラが効いていて美味しかったです。
駅に戻ってホームに上がろうとすると、たまたまコンコースの売店にうなぎパイの小袋が売られていたのを見てつい購入。
おいしいですよね、あれ。帰ってからリビングに置いていたらいの一番に無くなってました。
浜松→豊橋
ちょうどこの辺りから雨が降ってきて窓の外の景色も見えづらく、さらに腹も膨れてで、ウトウトしていたら豊橋でした。
30分、いまいち実感がない。
が、乗り換えてから所々で睡魔に負け、蒲郡やら名古屋やら大垣やらでぼんやり窓の外を眺めながら313系の快適な座席に包まれること約2時間。
ふと気付いて目を覚ましたのは米原に着いただいたい3分後。大阪方面への接続の列車が出た後でした。
ああ、最終日にしてとうとう乗り遅れやってしまったかーと。終電じゃないのでまだ大丈夫ですが。
え?初日の一番最初に乗り遅れてたって?あれはノーカンです。
米原→京都→帰宅
ここからはもう写真すらありません。
気力が全部眠気に変わってしまってます。
列車が入線してきて、まだ米原を発つ前に既に意識を手放してしまうと、次に覚醒したのは終点の京都。
ここで終電の大阪行きに乗れば最寄り駅まではこれ一本。
どうやって乗り換えたのかいまいち覚えてないのですが、当時の私は重い荷物を背負ってなんとか座席に腰を下ろしたようです。
結局乗り換えた後もまた寝てしまったようで、次に気が付いたのは最寄りから3つ進んだ駅に到着したところでした。
ところで、明らかに寝過ごしたと気付いた時の頭って面白いぐらいに冴えますよね。
皆さんも一度は経験があるかと思います。そう、その感覚です。
この時も気付いてからは早かったです。青ざめた顔のまま急いで荷物抱えて電車から飛び降りました。
まったく、心臓に悪い。
結局、家まで2km余分に歩きました。
あーあ。最後の最後にやらかしやがりましたね、自分。
おわり
おわりです。
最初にも書いていた通り、初めは東北を回る予定なんて一切なかったのですが、急遽旅程を変更した結果、こうなりました。
そうして増えた4日間の旅を6月から半年かけてこうして文字に起こしてきたのですが、如何せん時間をかけすぎた。
この旅行はもともと受験前最後の泊まり込みの一人旅のつもりで、行ったことのない場所に行く。行きたい場所に行く。乗りたい列車に乗る。
それを詰め込んだらキツキツな旅程にはなったものの、それは結果オーライ。
久しぶりの東京の高揚感や、青森の厳しい寒さ、それに各地で食べたものの味。
半年経った今でも、全部しっかりと頭に残っています。
これからも自分がやりたいことをして、楽しいと思える旅をしていこう。
そう改めて感じた旅でした。
最後に。
今年も一年ありがとうございました。
それではみなさん、よいお年を。
東のほうを4日かけて回遊した話#3
お久しぶりです。
前置き等々に入る前にまずは宣伝させてください。
初音MADです。見てね。
一応前回のタイミングでも貼れたのですが、素材として使用した路線に乗るのが今回だったということで。
動画のちょっとしたこだわりとかも書いてみたいですが、今回のメインは旅記なのでそれはまた今度。
閑話休題。
8月どころか9月も終わって少し涼しくなったかなと思っていたら時々思い出したように暑くなる今日この頃。夏休み前と変わらず、毎朝混みあった電車に揺られています。
半袖と長袖の替え時 is いつ。毎年わからん。
という訳でこの時はまだまだ寒い、青森の駅に降り立ってからです。
この記事は
の続きとなっています。
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真夜中の津軽線の踏切からこんばんは。
こんな時間にこんな所で何をしているかと言いますと、あてもなく彷徨っている...という訳ではなく、お宿に向かっています。
既に終電は出てしまっているので、この時間に線路を通るのは北へ向かう貨物列車だけ。
時折鳴る踏切と、貨物列車独特のジョイント音を耳にしながら線路と並走している国道を歩いて北上します。
途中、油川の駅を越えたあたりで海岸に出られる道を見つけたので少し寄り道。
いい感じに青森市街が見えたので何枚かバルブでパシャパシャ。
5分ほど撮ったのち、引き続き北へ向かって歩きます。
ちなみにこの時友人とDiscordで通話しながら歩いていたのですが、途中で相手が寝てしまったので朝は何しようかなとか考えていたら宿に着きました。
はい。
青森から3駅。奥内駅まで歩いてやって来ました。
ここが本日のお宿です。ええ、誰が何と言おうと宿です。
ちなみに着いたときは電気こそ点いてなかったものの、ドアが開いていたのでお邪魔させていただきました。まぁ、着いたの3:30とかだし電気とか点いてるわけないわな。
動いていた時はあまり感じなかった寒さがちょっとずつ身に染みてきたので寒くないように、ダウンジャケットやらコートやらを最大限着込みまして、おやすみなさい。
ふと寒気を感じて目を覚ましてみれば時刻は5:20。段々と空が明るみ始めてきた頃でした。
それにしても寒い。一体何度なのかと気になって調べてみれば2℃。死ぬ気か?
椅子で凝り固まった体をほぐすために動けばある程度体も温まってきます。
外を見れば起きた時よりも空が赤みがかっており、まもなく日の出というところでした。
ここは本州最北の青森。折角なら日の出でも拝んでおこうと思い、駅の跨線橋に上がります。
ゆっくりと昇ってくる太陽。完全に登りきるまで5分にも満たない短い時間でしたが、写真に収めながらだと途方もない時間のように感じました。
今までも近場の山の頂や、瀬戸内海沿いを走る列車の車内*1から日の出を見たことはありますが、普段とは異なる場所で夜明けを迎えるのはいいですね。これでしか得られない栄養素がある。
蟹田方へ向かう送り込み回送(?)の通過を眺めれば青森への始発はすぐにやって来ました。
それに乗り込んで青森まで戻ります。
6時間ぶりに青森駅に戻って来てみれば非常に違和感。
慌てて昨日の写真と見比べてみればなんか封鎖されてる。どういうこっちゃ。
???状態で改札を出ようと出口の指す方へ向かえば昨日と改札が変わっている。
そもそも昨日通ったはずの跨線橋も通っていない...。
ここでようやく駅舎建て替えに思い当って、ちょうど駅に掲示されていたポスターを見てみれば、旧駅舎との切り替えがドンピシャでこの日だったようで。
そういえばと思い返してみれば前日、妙にカメラを持っている人や駅員が多いなと思ったり、18きっぷを見せた窓口の横の自動改札機があるはずのスペースに何もなかったり等々、よく見ていればこの時点で違和感でも感じたでしょうが、寝起きの状態では気付けるものも気付けないですね。
過ぎてしまったものは仕方ないので、旧駅舎の残り香を記録していきます。
入口変更の張り紙を貼っている最中の光景も撮ることができたのでこれはこれでよかったかなと。中々見れるものじゃなかろうし。
一通り外回りを撮ったところで再び駅舎の中へ。
なんか面白いものないかな~とうろついていたらtwitterで定期的に話題になるリンゴジュースしかない自販機があったので購入。
普通のジュースに比べればちょっと値が張ってますが、それに見合う味だったので満足です。
このあと昼過ぎまで列車に乗ることになるので何か食料を買い込まねばと、オープンしたてのNewDaysで多くの駅弁に惑わされた末に会計を済ませ、放送でも録るかと改札に入ります。
何本か放送を録っていたら向かいのホームで何やら横断幕が広げられていました。
7時前から大変ですねと思うと同時に、こんなことをする理由が分からず、特急でも来るのかなと思って待っていたのですが...
まさかのカシオペアでした。
前日の尾久停車中に眠っている状態のカシオペアを見て、あれがそうなのかと思っていたのですが、随分と早い再会となりました。
それにしても間近で見るとかっこいいですね。Nゲージとかで欲しくなるのも分かる。
封鎖されてしまった跨線橋と入れ替えのために引込み線に入った牽引機を奥に写して。
両者とも偶然でしたが、先ほどのものも含め、これはこれで貴重なものを撮れたのでよかったのかなと思います。
ちなみにこれは余談なのですが、この時のカシオペアに某有名鉄道系YouTuberが乗っていたらしく、後日投稿された動画を見てみたら一脚を掲げている自分が写っていました。そんなことある?*2
さて、始発で来てからこうして少しばかり時間を潰していたのですが、ようやく乗る列車が入ってくるということで。
少し前に一部で話題になっていた五能線を走る快速列車、リゾートしらかみです。
途中下車シリーズだかでその存在を知った時から乗ってみたかった列車で、この旅行を計画した瞬間に指定席のきっぷを押さえに行った列車でもあります。
入線から出発まで少し時間があったのでうろつきながら写真を撮っていたら、向かいのホームに止まっていたカシオペアが動き始めたので動画を回したら並びました。あんまり見れる機会は少なそう?
そんなことをしていればすぐに出発の時間はやって来ました。
風光絶佳な五能線を経由して約5時間。リゾートしらかみでの旅のひと時の始まりです。
青森→秋田
乗ってみて気になったのは、思っていたよりもエンジン音などが聞こえてこないこと。
同じ気動車といえど、30年以上前の老兵であるキハ40と比べるのは釣り合いが取れないでしょうが、圧倒的に快適性が向上していると思います。
青森を出て、大釈迦の長いトンネルを抜ければ車窓は一気に田園風景に。
前日に寝ながら通過して見逃した景色を眺めながら、列車は南へと向かいます。
朝ごはんにでも、と思って買ったのですがこれが大当たり。
これでコンビニのおにぎりとさほど値段変わらないの正気か?
車内からまだ頭に雪を被っている岩木山を眺めればまもなく列車は弘前へ。
ここより少し折り返して川部から五能線へと進行方向を変えていきます。
この辺りの区間から車内イベントとして、津軽民謡の語り部や、津軽三味線の演奏などがあったのですが、まぁ津軽弁が何言ってるかさっぱりわからない。
これ以外にも複数の駅の間で吉幾三さんによる津軽弁での案内放送があったりしたのですが、そちらは逐一単語に解説を入れてくれる親切設計だったので、関西弁の民でも難なく理解出来ました。
しかも、各地域ごとに詳細なアナウンスを入れてくれるし、ちゃんとオチもついている。一見の価値ありだと思います*3。
鯵ヶ沢を過ぎて、車窓に海が見え始めてくればまもなく千畳敷に。
15分ほど散策時間が取られていたので、カメラを持って外に出ます。
この日は朝からちょっぴり薄曇りで、海沿いは晴れたらいいな~とか思っていたのですが、そんな心配は杞憂に終わり、綺麗に晴れてくれました。
しかしまぁ、同じ千畳敷の名前を冠しているここと白浜とでも、ここまで違うのかといった感じ。
同じ名称の観光地を巡って、比べてみるのも面白いかもしれませんね。
千畳敷での散策を終えて、再び列車に揺られていれば時刻はほどなく昼時に。
パッケージ通り、牛めしです。
すき焼き風な感じなのかなと思って買ったのですが、どちらかというと牛しぐれのような感じで美味しかったです。
お値段1080円。肉も米も青森尽くしの駅弁がこんな価格で、しかも車窓に広がる海を見ながら食べられていいのか。
マジで全人類乗りに来たほうがいい。最高です。
これもまた余談なのですが、この弁当に使われていたお米、その名も「青天の霹靂」というブランド米なのですが、これがあまりに美味しくて、大阪に帰って来てから探してみたらあったので思わず買ってしまいました。
ブランド米というだけあって流石にお高めですが、さっぱりとした味で美味しかったです。公式サイトにあるカレーも是非お試しあれ*4。
十二湖を過ぎて海沿いスレスレの場所を走りだすと、海岸線に荒々しい岩場が現れはじめます。
津軽国定公園にも指定されている絶景を眺めていると、いつの間にか列車は青森県に別れを告げ、秋田県へと入っていきます。
岩館、あきた白神の順に止まれば、やがて海からも離れていき、沿線に住宅地が目立つようになってくれば列車はやがて五能線の起点である東能代に。
座席を回転させて発車した車内からは3月で引退したキハ40系列が留置されているのが見えました。
ついこの間まで五能線を走っていた車両。しかし、この車両たちに乗ることはもう叶いません。
機会を作ってでも乗りに来るべきだったかなと少しばかり後悔しましたが、こうしてその姿を見れただけでもよかったかなと。
近いうちに北条鉄道に譲渡された編成が動き出した際には当時の面影を感じながら乗ってみたいものです。
川部で分かれた奥羽本線に再び合流し、列車は終点を目指します。
途中ちらっとかつての八郎潟の外縁が見えたり、引退してしまった列車とは裏腹に、新しく開業した駅を窓から眺めていれば、もうまもなく終点の秋田です。
青森を出て約5時間。様々な景色を楽しんだリゾートしらかみでの旅もここで終わりです。
初めは長そうだなぁとか思ってたのですが、そんな心配は全くの杞憂に終わりました。
最初から最後まで飽きることなく、非常に楽しかったです。また乗りに来たいですね。
次の列車まで1時間近く開いていたので、駅ナカでお土産を買い漁ります。
秋田と聞いてパッと思いつくバター餅や、いぶりがっこなどをいくつか買いましたが、土産物の店は見てるだけでも面白いですね。ついつい目移りしてしまって何を買うか長いこと迷ってしまうのが玉に瑕ですが。
土産物棚を見ていたら目についたババヘラアイスに舌鼓を打っていれば、1時間はあっという間に過ぎていき、再び日本海沿岸を南下する列車に乗り込みます。
秋田→羽後本荘
久しぶりの701系に乗り込んで、すっかり耳慣れてきたワンマン放送に耳を傾けていれば、隣のホームに今朝見たはずのカシオペアを牽いていた機関車が単行で入線してきていました。
客車はどこへ置いて来たんだろうかと再び眼下に現れた海を見ながら考えていたらすぐに終点の羽後本荘へ。
到着した羽後本荘の駅舎も改装中で、仮駅舎での営業でした。
今は既に建て替えが終わったそうで、青森駅と同じく東西間の自由通路も開業しているそうです。
ここから乗り換えて、少しばかり内陸へと足を延ばします。
羽後本荘→矢島
乗り換えるは由利高原鉄道。
こちらも途中下車シリーズでその存在を知り、ずっと乗ってみたかった路線の一つです。
ダイヤがJRと絶妙に嚙み合っておらず、行程組みの時に少し難儀したところですが、乗りたいの一心で無理やり行程に詰め込みました。
おばこ号と名付けられている一両編成の短い列車で子吉川に沿って走る、鳥海山と沿線の風光明媚な景色を楽しむ寄り道です。
車内に取り付けられていた風鈴のような形をしたものは本荘ごてんまりと言うそうで、4つほど天井からぶら下がっていました。
先述した羽後本荘駅の東西自由通路の愛称*5にもなっている、この辺りの名産品だそうです。
こうやって地域の特産や名物を置いておくと、ふとした時に目に入って宣伝にもなるので非常にいい。もっとやってくれ。
進行方向左側に座っていた席の反対の窓にはまだまだ雪に覆われている鳥海山が見えてきました。
往路ではほぼほぼ何も考えず、ボーっと車窓を眺めているだけだったのですが、突然何の変哲もない山並みの中から真っ白な山が飛び出てくる光景、すごい。急にどこかへ飛んでしまったのかと勘違いしてしまう。
唯一の列車交換駅である前郷で、2日前にも見たタブレット交換*7を見て、周りが畑の中にポツンと建っている吉沢を過ぎれば終点の矢島へ。
ごちゃっとした街並みの中から頭一つ抜けて山が見えるの、よい。
そこはかとなく御殿場のあたりから見る富士山に通ずるところがある。さすが出羽富士と呼ばれているだけありますね。
駅舎の中には特産品直売所などもあって、THEローカル線の駅という感じでした。
鉄印3つ目です pic.twitter.com/dg8pF3JXxE
— 枚槻 (@Hira2ki) 2021年3月27日
本来であればまつこさんという方が手書きしてくれるのだそうですが、この日は途中で帰られてしまったそうで、代わりに駅員さんに書いて頂きました。
これはこれで珍しい...のか?
折角こんなところにまで来たのなら列車を一本見送って、のんびり駅周りの散策でもしたいところですが、先ほどの通り無理やり行程に詰め込んだところなので、ゆっくりしていられません。
折り返しの列車で羽後本荘まで戻ります。
矢島→羽後本荘
乗ってきた列車に再び乗り込んで、行きとは違う側の席に座り、来た道をゆったり揺られて戻ります。
左右どちら側に座っていても見える鳥海山。いつか登ってみたいもの。
再び前郷で列車の交換待ちをして、行きには看板だけ見て見れなかった旧鮎川小学校が車窓に映れば寄り道もまもなく終わり。終点の羽後本荘はもうすぐです。
この旧鮎川小学校、今は木のおもちゃ美術館という名で、民俗資料館なども兼ねているそうなので、次は時間をとって回ってみたいですね。
そろそろ日没というところで戻ってきた羽後本荘。車体を夕日が照らしていたのが印象的でした。
最初は思い付きで寄った感じでしたが、行ってみたらめちゃめちゃに楽しかったです。また来ます。
羽後本荘→酒田
ここより本筋に戻りまして、再び日本海を右手に見つつ下っていきます。
先行の列車の不具合だったかで遅れてきたこの旅最後の701系に乗って、海運の町である酒田を目指し移動。
酒田
すっかり日も落ちて18時半。酒田に到着です。
途中の車窓からはブルーモーメントの空に雄大な鳥海山がそびえ立っているのが見えました。
ところでこの時の酒田駅も工事をしていたのですが、駅舎建て替えラッシュでも来ているんでしょうか。
30分ほど乗換待ちがあったので、701系を中心に撮って回ります。
一部では走るプレハブだなんだと言われているようですが、私は割と好きです。
ここで乗り換えるは奥にちらっと見えている鼠ヶ関行き。
着いたら何食べようかと考えながら発車を待ちます。
鼠ヶ関
乗ってきた列車はそのまま折り返し酒田行きに。
次の上り列車まで1時間弱あるので、その間に散策がてらご飯を済ましてしまおうという魂胆です。
少しうろついたのち駅を出て、あらかじめGoogleマップで目当てをつけていた店に向かいます。
......団体貸し切りで開いてませんでした。
まぁ、そんなこともあるでしょう。念のためと思って調べていたもう一つの方に行きます。
お、明かり点いてるしやってるわ。よかった~と思ってドアを開けます。
「あ、今日はもう閉めたんよ。ごめんねぇ。*8」
食材の売り切れで早めに店を閉めてしまったそうです。嘘だろ?
まずい。この先の乗換で時間が無いわけではないが、流石に腹が減ったこの状況は避けたい。
そう思い巡らし、他に開いてるお店が無いかを尋ねると、首尾よく近くにあるとのことなのでそこに行くことに。
案内されたお店はどうやら地元の人達が集う居酒屋のような店だったようで、私が入った時も何人かがお酒を酌み交わしていました。
そんな人たちが談笑する店内に、大きなリュックを背負った私。場違い感がすごい。
早く提供できるから、とラーメンを勧めていただいたので注文。
その言葉通り10分もせず出していただいたラーメンはすきっ腹に染みる味でした。美味しかったです。
同じタイミングで店を出た地元の方と話しながら駅まで戻ると、ちょうど列車が来たところでした。
この列車でまだまだ南下します。
村上
鼠ヶ関を発車すれば1分も経たないうちに新潟県との境へ。
この区間は本来であれば五能線レベルで海に近い場所を走っていて、綺麗に海が見えるはずなんでしょうが、暗くて何も見えない。
やることもないのでウトウトしていたら村上でした。
この駅で今日最後の乗換。
新潟を経由する新津行きの終電に乗り換えです。
車内放送も首都圏で聞きなれたあの声に。
「新潟経由の新津行きです」のフレーズ、語感が良くて好き。
新潟
ふと目覚めればいつの間にか新潟に。
なんか昨日もこんな感じで目覚めたなとか思いつつ、列車を降りて改札へ向かいます。
流石に2日もまともな宿を取らないのはいただけない。
という訳で、旅行前に取っていたホテルへと向かいます。
寝ぼけ頭でふら~っと歩いただけでの感想なんですが、思っていたよりずっと都会でした。
片道3車線の道路に駅前歩道の立派なアーケード。どことなく金沢とか敦賀などの北陸の都市を彷彿とさせる感じでした。
豪雪地帯と呼ばれる辺りの駅前って総じてこんな感じなんでしょうか。
萬代橋を渡ってホテルに着いたのは日も変わったころ。
チェックインして部屋で一息つけばドッと疲れが押し寄せてきます。
この旅行の中で一番移動距離が短かったこの日。
とはいえ、楽しさでいえばこの日が一番充実していたと思います。
思い返せることが非常に多い。
長かったこの旅も明日が最終日。
相も変わらず始発から動き回ることになるので、しっかりと体を休めます。
続きます
P.S.
これ書いてる間に長袖に替えました。
毎回本文に時間かけすぎて冒頭に書いた内容と嚙み合わないの何とかしたい。
東のほうを4日かけて回遊した話#2
お久しぶりです。
毎月頭に更新してたし今月も更新してたやろ!とか思ってたら全然更新してなかったことに気づきました。
世間一般では夏休みに入りましたね。相も変わらずお出かけしずらい状況は続きますが、皆さんはどうお過ごしでしょうか。
私は休みのはずなのに休み前と変わらず学校に行ってます。どうしてだ。
と、いう訳で前回の続きからとなります。
......あの旅行からもう四ヵ月経ったってマジ?
話の内容的に前回の#1を読んでからの方がわかりやすいです。
読んでくれたら私が喜びます。
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※前に比べて鉄道関連の話ばっかりです。
さて、前回は東京に行くために夜行バスに乗り込んだところで幕引きとなりました。
走り出したらすぐに消灯となったのでカーテンの隙間からちらちらと車窓を見ていたのですが、高速に乗ったあたりで記憶がプッツリ切れているのでこの辺りで寝てしまったのだと思います。
ちなみにこの時が初めての乗合の高速バスの乗車で、ずっと隣が気になって眠れないかとか心配してましたがそんなことはなく、単なる杞憂に終わりました。よかった。
2回ほど休憩のために止まったSAで目を覚ましつつ、バスはまだ暗い早朝の都心部を走り、5時前に東京駅に降り立ちます。
東京駅
東京駅と言えば丸の内の駅舎なんでしょうけど、乗換的に時間が無かったので断念。
ここに来るのは上の駅名標を撮った時以来*1で、その時にはまだE231系が元気に走り回ってました。
久しぶりに聞くATOS放送にちょっと感動しながら、既に山手線では見慣れた顔となっているE235系に乗り込み、上野へと向かいます。
個人的にはどうしても東京とかほかの駅に霞んでしまってあんまり降りた記憶がないんですよね。
それでもそんじょそこらの駅と比べれば十分すぎるほど立派な駅ではあるのですが。
数分ほどの連絡でやってきた当駅始発の列車に乗り、さらに北へと向かいます。
途中の尾久で留置線に止まっているカシオペアを見て「おー」となったり、帰省の時であれば降りる大宮で降りず、それ以降のあんまり馴染みのない景色を見たりしながら、途中の小金井で列車を降ります。
さっきの列車で終点の宇都宮まで行っても、ここで降りても結局途中で同じ列車に乗ることになるので、それならば面白いほうに乗ろうということで小金井で降りたものの、駅前に何にもない。
地図を見ても最寄りのコンビニまで微妙に距離がある。
そんな訳でポツンと置かれていた機関車の動輪を撮ったのですが、今回動輪ばっかり見てる気がするな。
それだけ各地で使われてきたっていうことの証明なんでしょうけども。
駅周りの写真を撮ってもまだまだ時間は余っていたので再び改札内に入ったところでふと自動販売機を見たところ、一時期twitterで話題になっていて、個人的にも気になっていた水ゼリーがあったので思わず買ってしまいました。
ちょっと気になってた水ゼリー売ってたから買っちゃった pic.twitter.com/O8vF1BncPh
— 枚槻 (@Hira2ki) 2021年3月25日
で、まぁこれが好きな味でして。
acureの商品にはいつもやられてる気がします。
その後放送を録ったりしていたらすぐに時間は来て、再び当駅始発の列車に揺られ、さらに北を目指します。
行先として名前は聞くけれど実際行ったことはない感じの場所。
名前だけで何となく福島県っぽいな~とか思ってたんですけど全然栃木県内なんですね。隣駅が"那須"塩原だしそりゃそうか。
接続が良かったのでほとんど駅周りは見れなかったのですが、車窓から見た感じだけでいえば割と栄えていたように感じます。
乗換の時にホームに置かれていたこれを見て思ったんですけど、黒磯大宮間の運用なんてあったんですね。
今は大宮止まりなんてほとんどなかったような......?
と、そんなことを考えつつ、次の列車へ。
ここまで多くが数分レベルの乗り継ぎでポンポン来ましたが、ここでちょっと小休止。
改札を出て、新幹線改札横の売店でガムやら家への土産物のままどおる*2を買い、再びホームに戻ると折り返しの列車が遅れているとの案内が。
遅れは5分程度のものだったようで、あまり待つことなくすぐ来ましたが、前日から微妙な遅れにあたることが多かったので、この後も続かないよう願いながら。
郡山→福島→白石
折り返しの遅れを回復できず、そのままの遅れで郡山着。
もともと4分乗換のところだったので、写真を撮れずスピーカー下も取れず、さらに席にも座れずの三段コンボを食らって、正直この区間はあんまり覚えていません。
幸い席はすぐに空いたので立ちっぱなしはありませんでしたが、この日は多分ここが一番大変でした。
福島でも10分強時間があったので特に何も買う予定はなかったのですが、改札を出て駅ナカ*3の店舗を見て回っていた時にふと練り物の店を見つけ、思わずおすすめされた笹かまぼこを買ってしまいました。
私はもとより蒲鉾とかの練り物は結構好きな方でよく好んで食べるのですが、この時に食べた笹かまぼこは今までの物とは全く違って、素直に感動しました。
マジでおいしかったので是非行った人は食べてみてください。おすすめ。
笹かまぼこに感動していたらすぐに時間は来て、また列車に乗り込みます。
と、ここで放送が。
♪チャイム この電車は東北本線各駅停車の白石行きワンマンカーです――。
当時の私の言葉を引用すると、
実際に聞いたことないのにめちゃくちゃ聞き覚えのある放送聞けてうおおおってなってる
— 枚槻 (@Hira2ki) 2021年3月26日
とまぁ、めちゃくちゃテンション上がってます。
正直この放送に気を取られ過ぎててあんまり他のことを覚えていません。
気付いたら白石に着いてました。
白石→仙台
この10日ほど前のダイヤ改正で日中の福島仙台間の行き来は白石で完全に系統分断されてしまったようで、この時もこの駅で対面乗換でした。
マイクを貼ろうと天井に手を伸ばしたら割と高くてびっくりしました。
そうしてやって来ましたは仙台。が、あんまり乗換に余裕がないのでさっさと仙石線のホームへと移動します。
それで移動しながら思ったんですけど、結構地下深くまで潜るんですね。地下鉄があるからかなとも思いましたが、軽く調べただけじゃそこらへんははっきりしませんでした。
列車を待っていると青い帯のものではなく、なぜかカラフルな帯でやって来ました。なんだこいつ、知らないぞ。
それで調べてみたらかつて仙石線に快速が走っていた時の名残らしいですね。
乗りながら気になっていたんですけども、石巻方の先頭車の座席だけクロスシートを横並べしたまんまで固定されているのも当時回転していたものをそのままにしているものだそう。*4
数ある編成の中で5編成だけこのタイプらしいので来たらラッキーみたいな感覚なんでしょうか。
松島
そうして着きましたは松島海岸の駅でございます。
一段高くなってるホームからすぐにオーシャンビューなのはいいですね。工事中なのが少し残念でしたが。
このとき時刻は昼の2時。朝からまだ先ほどの笹かまぼこしか胃に入れていません。
流石に腹が減っては観光も出来ぬ、ということで少し歩いたところにあった土産物屋で親から頼まれた萩の月を買うついでに腹を満たせるものを探します。
と思っていたらその土産物屋の店舗に蒲鉾の店が併設されており、しかもそこで笹かまぼこを手焼きして食べられるとあるではないですか。
さっきあれ程語っておきながらこんなのやらない訳無いじゃないですか。
じっくり焼かせていただきましたとも、えぇ。
一回250円と少しばかりお高めの値段設定ではありますが、自分で焼いた焼きたてをその場で食べられるというのはいい付加価値だと思います。
実際めちゃくちゃおいしかったです。是非行ってください(2回目)。
ちなみに後で気になって調べたところ、どうやら「笹かまぼこ」という名称の発祥の店の支店だったようで。
なるほど、それならばと納得の味でした。
焼きたての笹かまに舌鼓を打ったのち、海岸線に沿って松島の駅へ向けて歩きます。
元々一時間の観光予定だったのにも関わらず、さっきの一連の流れで時間を食ってしまったので少し駆け足気味です。
ここでふと、過去に松島に来たときは船に乗って近くまで飛んでくるウミネコにかっぱえびせんを手渡しであげたような......?と歩きながら思い出したので気になって調べてみたのですが、どうも松枯れが多発していることから2014年頃より餌付けが禁止になったそうで。
どうりで記憶よりウミネコの鳴き声がしないなと思ったはずでした。
松島町のサイトには餌付け自粛期間として平成26年1月1日からと書かれていましたが、自粛令が解かれる事はあるのでしょうか。
また気兼ねなく出掛けることができる世の中になって、ウミネコたちと触れ合いたいものです。
松島観光の目玉でもある福浦島を横目に見つつ、松島の駅へ。
ここから再び列車に乗ってさらに北を目指します。
小牛田→一ノ関
正直名前を聞いてもどこにあるかいまいちイメージがつきづらい。
小牛田の名を冠する町の名前なんてあったっけ?とか思ってたら合併して美里町に名前が変わっているそうな。
そんな場所で乗り換えて、休む暇もなくずんずん突き進みます。
あと数分で一ノ関に着くといったところで、結局あの後何も買うことなく昼に笹かま2本しか食べていない状況で流石にお腹すいたな、と。
一ノ関着いたら駅の売店かなんかでなんか買おうかなと思っていたら列車は一ノ関に到着。
のんきに駅名標を撮り、改札の外にあったNewDaysでパンを買い込みながらスマホで行程表を確認すると目に入ったのがこれ。
いや、もうね、乗換時間4分しかないのになんでのこのこ改札出てるのかと。
慌てて線路を挟んで向かい側のホームに止まっている列車に向けて急ぎますが、跨線橋を渡る前から発車メロディが鳴り始め、やらかしたなと確信しましたが、さすがは本職の方と言うべきか、ちゃんとこっちを見ていたようで待ってくれていました。
乗換の時間はちゃんと確認しましょう。食事を疎かにしないようにしましょう。あとちゃんと寝ましょう。自戒です。
名も知らぬ車掌さん。その節はご迷惑をおかけしました......。
平泉辺りの車窓から中尊寺が見えたりしないかなと思ってスマホに表示した地図とにらめっこしながら外を眺めてましたが全く見えることなどなく、列車は盛岡へと進みます。
盛岡→大館
同じ失敗を繰り返すまいと8分乗換であることを確認してホームを急いでいたら駅名標撮るの忘れてました。
ここから先は東京からずっと下ってきた東北本線を離れ、西に逸れながら北に向かっていきます。
という訳で乗り換えるのは花輪線。
途中の駅でスイッチバックをやるとか何とかで個人的に気になっていた路線でもあります。
で、乗り込んだら休日の18時とはいえ、ちょうど帰宅ラッシュにあたっていたらしく車内に空席はなく、どこまで立ちっぱなしになるのかと心配しましたが、花輪線区間に入る前の好摩までの間でおおよその混雑が解消して一安心でした。
かつての東北本線から分岐し、秋田県との境を超えるためどんどんと坂を上っていく車窓からは線路脇に残った雪が見えてきて、ここでようやく東北へ来たんだなという思いが俄かに沸き上がってきました。
大きく栄えている鹿角花輪周辺の明かりを越え、スイッチバックを行う十和田南の駅で乗務員が車内を行き来する様子を眺めればあともう少しで終点です。
が、気付けばコロッと寝てしまっていて、次に目が覚めたのは運転士さんに起こされた終点の大館でした。
この駅ではここから下り方面に向かう最終列車と2分の連絡で、それに乗り遅れたらタクシー等でも使わない限り文字通り身動きが取れなくなるのですが、前日からの疲れを引きずった体が気動車特有の揺れで眠りに誘われ、ついウトウトと......。
いや、もう、ほんと、起こしてくれてありがとうございました。
ちゃんと睡眠はとりましょう。これはマジ。ほんとに。
それで、ここで乗り換えてからも一切記憶がないです。
気付いたら終点に着いてました。
眠気には抗えません。
青森
ふと目覚めてみれば終点の青森。
画面を通じてしか聞いたことのない放送が聞こえてきてテンションが上がりっぱなしだったのを覚えています。
とはいえ、ほぼ一日が終わりかけの時間から何かが出来るわけでもありません。
放送を録り、乗ってきた列車の折り返しを見送ってから駅を見て回り、やけにカメラを持った人が多いなと不思議に思いつつも跨線橋を渡り、改札の窓口で18きっぷを見せて駅の外に出ます。
普段私が暮らしている大阪も冬になれば寒いと言えど精々たかが知れています。
ましてや3月の終わりかけともなれば季節的にはもう春。
しかし、こちらは厳冬とまで言われる東北。
さすがにこの時分までそこまでの寒さを残していることはありませんでしたが、それでも寝起きで少し火照った頬にはピリッと感じる、心地よい風が吹いていました。
ここからは翌朝まで何にも予定を考えていなかったので、もちろん晩御飯についても無計画です。
駅前をうろついてみても空いてる店が無かったので、挙句駅から3km離れたマクドナルドに吸い込まれましたとさ。
変わらぬ味にチェーン店の偉大さを感じながら、この日は終わりです。
続きます
P.S.
頑張って7月中に書き切ろうとしましたが、全然間に合いませんでした。
冒頭なんかおかしいのはそのせいです。
東のほうを4日かけて回遊した話#1
どうもお久しぶりです。
暗峠の記事を書いてから1か月が経ちまして、そろそろ次の記事を書きませんか?とメールで催促をされたこともあり、何を書こうか頭を捻っているところです。
ついこの前ゴールデンウィークが終わって、あれよあれよとするうちにテストやら模試やらがあり、気が付けばもう6月......。早いものです。
さて、本題ですが、前回の記事の冒頭にちょこっとだけ触れていた「4日かけて東北のほうまでぐるっと回った」について書いていこうと思います。
とは言っても、これももう2か月ちょっと前の話なんですよね。時間の流れが早すぎる。
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そもそも初めは東北まで行こうなんて全く考えておらず、18きっぷが2日余ってるし伊勢からそのまま夜行バスで新潟まで行って帰ってくるか~みたいなことを考えていました。
しかし、旅行の直前にたまたま追加で2日分、合計で4日分の18きっぷを入手したので折角だしもっと遠出するか!となって、急遽初期の旅程に無理やり東北を詰め込んだのが今回の内容なので、初日は全く東北にかすりもしてません。タイトル詐欺です。
加茂駅
というわけで、朝8時半過ぎの加茂駅です。
交野線と学研都市線を乗り継いでここまで来たのですが、普段通学で使う時間帯に普段とは逆向きの電車に乗って旅に出るの、何とも言えぬ背徳感があっていいですね。
ところで、私はたとえ日帰りであろうとガチガチに行程を組んでからでないと動けない性格をしているのですが、実は家を出るまでに手間取ってしまって、この時点で当初の行程より1時間程遅れていました。
しかも、最寄り駅でもう2本前のに乗れていればここでリカバリーできたと気付いたのはここで1時間待ちぼうけになることが判明した後。つまり2時間遅れ。
幸先が悪い。
とはいえ、ずっとベンチに座ってボーっとしているだけだと暇でしょうがないので小雨がぱらつく中、駅前をうろうろします。
加茂駅周りにある鉄道遺構、存在自体は知っていたのですがなかなか降りる機会が無かったので見に行ってみたのですが、けっこうしっかり残ってるものなんですね。案内看板とかもあって分かりやすかったです。
写真はどっか行ったんですけど。
それと、この時シーズンで初めて桜を撮った気がします。
雨と桜、絵になる組み合わせですが、きれいに写すのは難しい。
と、そんなことをしながら時間をつぶしたのち、駅に戻って放送やらを押さえてやってきた列車に乗り込みます。
そういえば、キハ120のリニューアルってどのぐらい進んでるんでしょうか。
関西本線乗るたびに見ているような気がします。
亀山→鈴鹿
何気に鉄道を使ってきたのは初めてです。
亀山から20分ほど揺られてやってきましたは津。
正直JRよりも近鉄のほうが良いだなんだと聞くので利用客はあんまりいないのかなとか思ってたんですけど、降りたとたんに結構な人数が待ってるのを見て驚きました。
さて、ここから乗り換えるのは、
こいつです。伊勢鉄道。
これに乗って鈴鹿駅まで向かいます。
鈴鹿駅
乗ってる最中ずっと横に空き地があるのに気になって少し調べたのですが、どうも全線で複線化を目論んでるみたいですね。しかもすでに用地は確保されているのだとか。
これが実施されれば多少は近鉄と張り合えるようになるかもしれませんが、それが訪れるのはいったいいつになることやら。
で、鈴鹿に来た目的ですが、それがこれ。
鉄印2つ目です pic.twitter.com/qHSOiivBK3
— 枚槻 (@Hira2ki) 2021年3月25日
鉄印帳です。
埋めるのに時間もお金もどれだけかかるか分かったものじゃないですが、ちまちまと埋めていこうと思います。
ちなみにこの鉄印ですが、伊勢和紙なるものを使っているそう。
こういった地域の名産とかを知れるのも面白いですね。
それと、駅の構内に展示物等々が置かれており、その中に自動放送装置があったのですが、左側のツマミに「音質」と書かれていて謎でした。いじることなんてあるのか?
鳥羽
鈴鹿から折り返して快速みえに乗り、一気に終点の鳥羽まで。
去年の夏に来ようとしたときには大雨で伊勢市-鳥羽間で運休していて、それ以来行けずじまいだったので今回来た次第。
とは言っても40分しか時間ないんですけど。
でもまあ、お腹すきましたねってことで駅構内にある売店で伊勢うどんを。
思ったより柔らかいし、しょっぱそうに見えて意外と甘かったりしておいしかったです。400円。
うどんの提供が早かったこともあって20分弱時間があったので駅近辺を歩き回ります。
駅の案内板にあった鳥羽城だけでも見に行こうかなと思って線路沿いの道を歩いて行ったんですけど、至る所に真珠を売る店がある。極めつけは駅の中にまで。流石名産なだけありますね。
そんなことを考えながら歩いていたら城の三ノ丸まで来たところで、雨脚が強まって来て、かつ時間も少なくなってきたので本丸跡は諦めて駅に戻ります。
駅に入ったすぐのとこにあったこのサイン、いい感じの昭和っぽさが残ってて良かった。
松阪→伊勢奥津
快速みえに乗り込んで40分ほど、松阪で降りて次に乗り換えるは名松線。
発車までまだ30分近くありましたが、すでに列車はドアを開けて止まっていて、ローカル線あるある(?)を感じました。
発車時間になっても乗り込んでくる乗客は私以外おらず、このまま終点まで貸し切り状態か、とか思いましたが、どこかの途中駅で一人乗り込んできて区間需要はあるんだなぁと。結局その人も2,3駅先で降りちゃったんですが。
途中、ボーっと車窓を眺めていたら線路脇にいたシカとバッチリ目が合って滅茶苦茶ビックリしたりしていたらあっという間に終点に着いてました。何だったんだあのシカは。
折り返しが出るまで40分程時間があったので駅周りをうろちょろと。
とは言っても周りには空いてるのかよく分からない民宿みたいなのと民家ぐらいしか無く*2、駅裏にあった給水塔を見るぐらいでした。
それと、駅舎内にあった駅ノートにもちょこっと書いておきました。誰かが見てるのかどうかよく分からなかったのですが。
そういえば、駅前にあった観光交流施設の看板を見て驚いたんですけど、ここも津市なんだそうですね。なるほど、だから”奥”津...。
復路では駅名標を撮ったり、対向列車の待ち合わせをする家城駅で今となっては数少ないタブレット交換を見たりしていたらあっという間に松阪まで戻ってきていました。
こういうローカル線、個人的にはとても好きなんですが、先は短いのかなあとか思うと悲しいですね。
松阪→名古屋
ここからは今日の目的地である名古屋へと向かいます。
と、列車を待っていたところ、どうも15分程度遅れているらしく。
それを待つ間、ホームの向こうを我が物顔で颯爽と走り去っていく近鉄特急を見ながら、JRが張り合える日が来ることはあるのかなんて思ってしまいました。
結局20分遅れでやってきた列車で亀山に戻り、関西本線に乗り換えます。
途中、四日市で後続の快速みえに乗り換えるために下車してみたのですが、パッと見た感じ、駅周りになーんにも無くてやはり格差はどうしようもないなと。頑張ってくれ、JR。
キハ75の座席に身を埋めること30分。名古屋に到着です。
個人的にはこのシートはなかなかいい部類に属していると思います。
これと言い、313系といい、座り心地の良い座席が多いのはいいですね。とても腰にやさしい。
時刻は21時過ぎ。名古屋名物って何だったかなと検索をかけると台湾ラーメンの文字が目に入ったので食べに行くことに。
頼んだのは確かごく普通のだったと思います。それでも思っていたより辛かったような記憶。
食べ終えて駅まで戻ると、ちょうどいい感じに両方面のホームライナーが集まっていたので放送やら動画やら行先表示やらを回収。
東海って幕に凝ってるイメージがあるのですが、ホームライナーは対象外なんですかね。これはこれで好きですが。
と、そうこうしていると次の時間が近づいていたので、駅を後にして乗り場へ向かいます。
本来はここから新潟へ向かうつもりでしたが、進路を変えて北ではなく東に。
夜行バスで一路東京へ。
続きます